子供の頃、私の将来の夢は保育士さんか、お花屋さん。
「おやつを買ってくる!」といっては、近所のスーパーの店先にあったお花屋さんで花を選んで買っていました。
当時、私の部屋にはガラステーブルがありました。テーブルの下には台があって、そこに物を飾るとガラス越しに見えます。
その台に、買ってきた花を飾るのが私の子供の頃の楽しみ。
花の香りや色、花びらの可愛いらしさ、花そのものが持つ優しさ。そんな奇麗なものが私の空間にあること自体が「癒し」だったんだと思います。


お花は、きれいなもの。
その認識がガラッと変わった不思議な体験をお話します。
子供の頃の夢が叶い、花屋の店を持つことができました。
オープンすることが決まった頃、スタートする前に「自分を整える時間」が欲しいと、一人で徳島の山間のペンションへ出かけました。
観光目的ではないので外出することもなく、携帯電話も切って無駄なぐらいのゆったり、のんびりした時間を部屋で過ごしました。日常から離れ、オープン前に豊かな自然の中で力をもらって、充電したかったんです。


早朝の4時過ぎに目が覚めました。
朝日がほんのりと暗がりを照らし始めたころ、陽が昇るのを見ようと外に出ました。
ペンションには小さな丘があり、石造りの階段を上ると山間ののどかな風景を見下ろすことができます。
階段の両脇には、パンジーのプランターがいくつも並んでいて、朝露できらきらしたパンジーの小路のようでした。
パンジーの階段をのぼっていたとき、「えっ?」って思わず振り返ったんです。
声が聞こえたんです、「おはよう」って。
小さいけど、クリアーにはっきり耳に響く声。その声が、「おはよう、おはよう!」って子供が
はしゃぐように連呼するんです。


どこから聞こえるのか、すぐに分かりました。振り返ったとき、パンジーと目があったから。
いくつも並んでいるパンジーのプランター。そのひとつに、思わず駆け寄って花に触れながら「おはよう」と答えました。


それが、花の声を聞いた初めての体験。
今から思うと、聞こえる声に気味悪がって、逃げるようにその場から離れてもおかしくありません。
でもその時はなぜか、疑うこともなく、自然と返事したんです。「おはよう」って。

その不思議な体験から、思い出したことがあります。
花屋で働いていた頃、日々の配達で疲れ切っていた私に元気をくれたピンクのコスモスのこと。
コスモスは、コンクリートの隙間に生えていました。配達中、歩道で咲いていたんです。


あの時のコスモスも、何か話しかけていたのかもしれません。日々の忙しさで、声が聞き取れなかっただけで。
歩道のコスモスに、私は水をあげたこともありません。それでも私に栄養をくれました。
コンクリートの隙間に生えたコスモスは、道行く人たちに声をかけながら、癒しを手渡してくれてた
気がします。

お花はきれいなもの。
花の声を聞くという体験をしてから、その認識が変わりました。
今では、「お花は、寄り添ってくれる命」に見えます。
わけへだてなく誰にでも、どんなときでも、その姿を見るだけで静かに寄り添ってくれる命が、お花です。
お花が言っていることが何かある。
それに気づいて、聞こうとするようになったら、花束でもその1本1本の個性が愛おしく感じます。
私のお店の花たちが笑うと、私もつられて笑顔になります。
「私らしいお花屋さんって何だろう?」って考えていましたが、悩む必要はありませんでした。
お花たちが教えてくれましたから。